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『片翼の悪戯』 連載中
片翼の悪戯

 プティまり文庫『片翼の悪戯』

今ゆうり

第1回


 視力を失うあの日まで、私はピアニストだった。名誉ある国際コンクールで優勝し、霜月《しもつき》ちひろという名前が一躍世界中に知れ渡った。演奏活動の拠点を海外に移した矢先、私は突然神様から見放された。
 たまたまベルリンで乗り合わせたトラムが観光バスと接触事故を起こし、多くの負傷者を出した。不運にもその事故に巻き込まれ、後遺障害で失明を余儀なくされたのだ。あれから二年の月日が経つが、未だ失った視力が戻る見込みはなかった。
 怪我の治療を終え帰国してからは、判で押したような変化のない毎日が続いている。ようやく独り立ちできたのに、実家に戻り自由のない生活を強いられていた。運転手が自宅の玄関から大学の玄関まで送迎し、家の中では家政婦達が至れり尽くせりで世話を焼く。まるで思考能力を持たない、操り人形のようだった。それでも世界有数の演奏家でもある相馬《そうま》教授が、私を見捨てず指導をしてくれるのだ。文句を言える立場ではなかった。
「盲目のピアニストに不可能はない。そうはっきりと証明されたから、霜月君も頑張らないといけないよ」
 教授は他人事だと思って、いつもこんな調子で冗談を言う。
「でも私の場合は、失明歴二年の初心者ですから。そう簡単にはいきませんよ」
 いつものように笑い返そうとしても、今日は何故か頬がこわばったままだった。見えないことに苛立ち、束の間だった過去の栄光を思い出し、今の自分の不甲斐なさに腹が立つ。
「今日は調子が悪そうだから、この辺でやめておこうか?」
 珍しく教授の方が音《ね》をあげた。女のヒステリーに付き合うほど、彼も暇ではないらしい。
「迎えの車が来るまで、カフェテリアでゆっくりしたらどうだい? きっと気持ちも落ち着くはずだ」
 見ることができないくせに、人目の多い場所はずっと避けていた。失明したせいで、耳は以前より感度が鋭くなっていた。小さな話声も自《おの》ずと耳に入ってしまうため、他人の目が余計に気になってしまうのだ。噂の的になるのはご免だが、今は無性にコーヒーが飲みたい気分だった。
「まだ昼前だから生徒も少ないだろう。申し訳ない、ここには何もないから」
 教授のレッスン教室には、不要な物は一切ない。ストイックなまでにピアノを愛するプロフェッショナル――それは私が描いた将来像そのものだった。

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